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摩訶般若波羅蜜 「 敬 禮 」


Utagawa Hiroshige 1224 1107 400


而今の
一蒭の竊作念は
法を敬禮するところに
雖無生滅の般若これ敬禮なり

この正當敬禮時
ちなみに
施設可得の般若現成せり
いわゆる戒定慧乃至度有類等なり

これを無といふ
無の施設
かくのごとく可得なり
これ甚深微妙難測の
般若波羅蜜なり




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正法眼蔵「摩訶般若波羅蜜」 7 )




「禮」?
調べてみると
礼の旧字体でした
敬も礼も、うやまうの意味
「敬礼」は、うやまう・うやまう

道元禅師の論旨は
いつでも、坐禅しよか!の五文字です

敬礼を坐禅でする、坐禅が敬礼になる
そして禮の字を改めて見ると
「豊かさ」を示すとなってます


坐禅自体が敬礼で、敬礼が坐禅してる
それは、豊かさを示すもの
豊かさが現れる行為だと
おっしゃってるのか

お塩もお砂糖も
精製せん方がミネラル含んで
美味しいし健康的ですね
一方「敬礼」は精製したほうが
洗練されるよな?

神仏とか、あるいは
真摯に生きてる方とか
何か「対象」があってそれをうやまう
このスキームを洗練させて
対象をとっぱらってしまう

そりゃ乱暴お話しやにゃ、ですね
乱暴と言えば
宮本武蔵の言葉に
神仏を尊び神仏にたよらず
があります

寄りかかる「うやまう」やのうて
自立する「うやまう」
この自立型「うやまう」では
「うやまう」は対象がないんで
自分へ返って来る? でしょうか

人を尊び、己を尊ぶ
神仏を尊び、己を尊ぶ、なスキーム


己へ返ってくる「禮」は
私達に何をもたらすのか?

「禮」は慎みや畏敬恐縮でもあるので
私達の生体の内側へ向く力線
求心力を鼓舞する事となるかと

現実の身体では
それは血行の戻り・静脈に
活気を与えることとなる、はずです

心が深く鎮まる
これと↑
静脈が元気に胸中へとお戻り遊ばす
こりゃ表裏になっちょる

心理感情は必ず
それに対応する生理現象を有している
伴ってる、でしょうか


心が深く鎮まる鎮める事がでける
そりゃ豊か人ですね


坐禅が
人を豊かにするなら
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紹介して頂くのもエエきゃも、ですね







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佐々木正巳

Author:佐々木正巳
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「国際交流のための坐禅会」

(ご希望に合わせ随時開催・参加費無料)

2006 東京国立博物館(上野) にて開催
2006~2015 仙台国際センターにて毎月開催
2022 ~  仙台 国見にて随時開催



かつて馬祖 baso の会 e に参じてとふ
「 如何是仏 nyoga-zebutu 」と
馬祖いはく
「 即心是仏 sokusin-zebutu 」と
法常このことばをききて
言下大悟 gonka-taigo す




法常禅師 Ho-zyo zenzi が
馬祖 baso 禅師の坐禅道場で
静かにお坐りになられてる
傍目にそのお姿は、静止してて
水面静まりけり、死人のように見えます
その死んだ水面に、天地が語りかけます
陽光星辰は一瞬も滞らず、その歌を奏でます

法常禅師はある時
馬祖禅師にご質問なされた
「 仏とは、どのようなものですか 」

馬祖禅師が答えます
「 坐禅においては、心が仏となります 」






宮城県仙台市青葉区国見5-6-18
( 5-6-18 kunimi Aobaku Senndai )


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ご連絡先はコチラでした!
090-7325-5711



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Kōdō Sawaki
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