弁道話 「 参学の真流にのこす 」
- 2018/12/20
- 19:44

おほよそ我朝は
龍海の以東にところして
雲煙はるかなれども
欽明・用明の前後より
秋方の仏法東漸する
これすなはち
人のさいはひなり
しかあるを
名相事縁しげくみだれて
修行のところにわづらふ
いまは
破衣綴盂を生涯として
青巌白石のほとりに
茅をむすんで
端坐修練するに
仏向上の事
たちまちにあらはれて
一生参学の大事
すみやかに究竟するものなり
これすなはち
龍牙の誡勅なり
鶏足の遺風なり
その坐禅の儀則は
すぎぬる嘉禄のころ撰集せし
普勧坐禅儀に依行すべし
それ仏法を
国中に弘通すること
王勅をまつべし
といへども
ふたたび
霊山の遺嘱をおもへば
いま百万億刹に現出せる
王公相将みなともに
かたじけなく仏勅をうけて
夙生に仏法を護持する
素懐をわすれず
生来せるものなり
その化をしくさかひ
いづれのところか
仏国土にあらざらん
このゆえに
仏祖の道を流通せん
かならずしも
ところをえらび
縁をまつべきにあらず
ただけふをはじめと
おもはんや
しかあればすなはち
これをあつめて
仏法をねがはん哲匠
あはせて
道をとぶらひ
雲遊萍寄せん
参学の真流にのこす
ときに、寛喜辛卯中秋日
入宋伝法沙門道元記 辨道話
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正法眼蔵 「 弁道話 」 63 )
6世紀
欽明天皇の頃より
仏教伝わりしといえども
「名相事縁しげくみだれて
修行のところにわづらふ」
700年の蓄積
話しが膨大すぎて
結局、何すればええんか?
分からんよぉなってもうた
この道元禅師の
その観察ポイントは
そこからさらに
800年の今でも
まったく同じ哉ですね
情報は、いやって程ある
では何すればいいんだろう?
「道をとぶらひ
雲遊萍寄せん
参学の真流にのこす」
2500年前も
800年前も
そして今、現代でも
道を問う道を求める方は
おられるはずだ
その「参学の真流」に
このレポートを捧げると
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