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弁道話  「 参学の願はんに 」


Utagawa Hiroshige 1217 1613


また釈教の
三千界にひろまること
わづかに二千余年の前後なり
刹土のしなじななる
かならずしも
仁智のくににあらず
人またかならずしも
利智聡明のみあらんや

しかあれども
如来の正法もとより
不思議の大功徳力をそなへて
ときいたれば
その刹土にひろまる
人まさに正信修行すれば
利鈍をわかず
としく得道するなり


わが朝は
仁智のくににあらず
人に知解おろかなりとして
仏法を会すべからずと
おもふことなかれ
いはんや人みな
般若の正種ゆたかなり
ただ承当することまれに
受用することいまだしきならし

さきの問答往来し
賓主相交すること
みだりがはし
いくばくか
花なき空に
花をなさしむる
しかあれども、このくに
坐禅辨道におきて
いまだその宗旨伝はれず
知らんと志ざさんもの
かなしむべし。

このゆえに
いささか異域の見聞をあつめ
明師の真訣をしるしとどめて
参学の願はんに聞こえんとす
 
このほか、叢林の規範
および寺院の格式
いましめすにいとまあらず
又草々にすべからず





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正法眼蔵 「 弁道話 」  62 )



坐禅は、音楽的建築哉

力学的構造物て点では
身体で創る建築物

筋肉系・呼吸系・血流系
これらを求心調和せしめて
呼吸&血行の中に
音楽性を発露せしめる

手腕脇で創る円相構造と
その音楽性の発露は
相互連動なんで
坐禅は、音楽的建築哉と

この建築は見る建築
中に入る建築にあらず
自らが建てる建築なんで

知っても分かっても
「 花なき空に、花をなさしむる 」
なんも出てこんわにゃ、と

自らが建て自らが奏でる
楽しいけど楽ではにゃい
楽ではないけど、楽しいのがええにゃ!
て言う
主体性発揮系の方には、朗報だと

「 知らんと志ざさんもの、かなしむべし 」

そういった方には
いい情報なくて悲しいんで

「 明師の真訣をしるしとどめて
  参学の願はんに聞こえんとす 」

私が学んだ事を発信せんと
でしょうか





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