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弁道話   「 妙 術 」


Utagawa Hiroshige 1215 2019
あきらかにしりぬ
自己即仏の領解をもて
仏法を知れりといふには
あらずといふことを
もし自己即仏の領解を
仏法とせば
禅師さきの言葉をもて
導びかじ
又しかの如く今しむべからず

ただまさに
はじめ善知識をみんより
修行の儀則を咨問して
一向に坐禅弁道して
一知半解を
心にとどむることなかれ
仏法の妙術、それ空なしからじ。






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正法眼蔵 「 弁道話 」  59 )



身体の内容を構成する
神経系・筋肉系・呼吸系・血流系
この4系統の内
通常の生活では
ほぼ神経系へ意識が向いてる
生活のほとんどは
神経系=五感&思考で成立してる
そんな感じでしょうか

スポーツ系な方でも
onの時は筋肉系ですが
offの時はくつろいでる
四六時中筋肉系ではないよな

では、
坐禅と言う建築?行為では
その最中どんな風に
なってるか?

筋肉系の実感を使って
呼吸系と血流系で和音を
創ってる

この和音奏でし時は
神経系( 五感&思考 )は
結果的に血流系から分離される

血流系は
呼吸系とデート?
してるのでその時は
神経系とは距離を置いてる
な道理でしょうか


気分を決める、にとどまらず
青くなったり赤くなったりと
心身に圧倒的影響を行使する
そんな血流系と
何が起きる分かりゃん
神経系( 五感&思考 )を分離する
それに適した姿が
坐禅と言う営みになると

では、なして
そんなめんどくさい事
するのか?です

何を見ようが認識しようが
神経系( 五感&思考 )は
実は微弱な電子信号?
のようなモン、なんだけど
それが何故か
心身を揺さぶる影響力行使する

これは
神経系( 五感&思考 )情報が
何の防御フィルターも介さず
ダイレクト血液へ転写され
身体の内側( 血流 )から
我々を規定する
ある時は猛威を振るうからだと

我々は外界を
血流に転写された外界として
身体の内側から感じてる
なので感受性の多様性は
大いに在りえるし

血液に転写されし情報は
すぐに削除出来ないんで
いい感じの時はいいけど
消したい情報の影響余韻もまた
消せないィ!て
厄介な問題も起きる

あるいは影響余韻が
チャンポンになってもうて
新鮮なリアルタイムな
神経系( 五感&思考 )情報が
体感でけんよぉなってしまう


新鮮の中にこそ
豊かさはあるので
神経系( 五感&思考 )と
実感血液系は
円満別居してもらおッ!
血液血流系さんは
呼吸系さんと御過ごし遊ばせっ!

言うただけでは
神経系&血液系離れんやさかい

さぁ、坐禅修行しよかァ! 
ですね






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プロフィール

佐々木正巳

Author:佐々木正巳
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「国際交流のための坐禅会」

(ご希望に合わせ随時開催・参加費無料)

2006 東京国立博物館(上野) にて開催
2006~2015 仙台国際センターにて毎月開催
2022 ~  仙台 国見にて随時開催



かつて馬祖 baso の会 e に参じてとふ
「 如何是仏 nyoga-zebutu 」と
馬祖いはく
「 即心是仏 sokusin-zebutu 」と
法常このことばをききて
言下大悟 gonka-taigo す




法常禅師 Ho-zyo zenzi が
馬祖 baso 禅師の坐禅道場で
静かにお坐りになられてる
傍目にそのお姿は、静止してて
水面静まりけり、死人のように見えます
その死んだ水面に、天地が語りかけます
陽光星辰は一瞬も滞らず、その歌を奏でます

法常禅師はある時
馬祖禅師にご質問なされた
「 仏とは、どのようなものですか 」

馬祖禅師が答えます
「 坐禅においては、心が仏となります 」






宮城県仙台市青葉区国見5-6-18
( 5-6-18 kunimi Aobaku Senndai )


仙台にお越しの折は
気軽にお寄り下さいませ

ご連絡先はコチラでした!
090-7325-5711



師 沼田 勇 先生 



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文章を通しての師

Rudolf Steiner 先生
Kōdō Sawaki
沢木 興道 老師 ( 曹洞宗 )










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