弁道話 「 妙 術 」
- 2018/12/16
- 12:29

あきらかにしりぬ
自己即仏の領解をもて
仏法を知れりといふには
あらずといふことを
もし自己即仏の領解を
仏法とせば
禅師さきの言葉をもて
導びかじ
又しかの如く今しむべからず
ただまさに
はじめ善知識をみんより
修行の儀則を咨問して
一向に坐禅弁道して
一知半解を
心にとどむることなかれ
仏法の妙術、それ空なしからじ。
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正法眼蔵 「 弁道話 」 59 )
身体の内容を構成する
神経系・筋肉系・呼吸系・血流系
この4系統の内
通常の生活では
ほぼ神経系へ意識が向いてる
生活のほとんどは
神経系=五感&思考で成立してる
そんな感じでしょうか
スポーツ系な方でも
onの時は筋肉系ですが
offの時はくつろいでる
四六時中筋肉系ではないよな
では、
坐禅と言う建築?行為では
その最中どんな風に
なってるか?
筋肉系の実感を使って
呼吸系と血流系で和音を
創ってる
この和音奏でし時は
神経系( 五感&思考 )は
結果的に血流系から分離される
血流系は
呼吸系とデート?
してるのでその時は
神経系とは距離を置いてる
な道理でしょうか
気分を決める、にとどまらず
青くなったり赤くなったりと
心身に圧倒的影響を行使する
そんな血流系と
何が起きる分かりゃん
神経系( 五感&思考 )を分離する
それに適した姿が
坐禅と言う営みになると
では、なして
そんなめんどくさい事
するのか?です
何を見ようが認識しようが
神経系( 五感&思考 )は
実は微弱な電子信号?
のようなモン、なんだけど
それが何故か
心身を揺さぶる影響力行使する
これは
神経系( 五感&思考 )情報が
何の防御フィルターも介さず
ダイレクト血液へ転写され
身体の内側( 血流 )から
我々を規定する
ある時は猛威を振るうからだと
我々は外界を
血流に転写された外界として
身体の内側から感じてる
なので感受性の多様性は
大いに在りえるし
血液に転写されし情報は
すぐに削除出来ないんで
いい感じの時はいいけど
消したい情報の影響余韻もまた
消せないィ!て
厄介な問題も起きる
あるいは影響余韻が
チャンポンになってもうて
新鮮なリアルタイムな
神経系( 五感&思考 )情報が
体感でけんよぉなってしまう
新鮮の中にこそ
豊かさはあるので
神経系( 五感&思考 )と
実感血液系は
円満別居してもらおッ!
血液血流系さんは
呼吸系さんと御過ごし遊ばせっ!
言うただけでは
神経系&血液系離れんやさかい
さぁ、坐禅修行しよかァ!
ですね
.