弁道話 「 妙修通身 」
- 2018/12/02
- 12:04

正法眼蔵 「 弁道話 」 45 )
すでに証をはなれぬ修あり
われらさいはひに
一分の妙修を単伝せる
初心の弁道すなはち
一分の本証を
無為の地にうるなり
しるべし
修をはなれぬ証を
染汚せざらしめんがために
仏祖しきりに
修行のゆるくすべからざる
と教ふ
妙修を放下すれば本証
手の中にみてり
本証を出身すれば
妙修通身におこなはる
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神妙なる坐禅をなす時
はく息が神妙ならば
ひかえる・畏敬の念から
心臓へ戻りたい静脈が
大いにに活気づく
息を吸う時は
心臓から輝きがいずるが如く
動脈が活気づく
これは
不随意であろう血流に
十分介入出来る
その可能性を示唆してます
そして
血流・血液系ネットワーク
に介入するとどぉなるか?
それまで
血液系ネットワークは只受身に
神経系ネットワークを転写してた
それが、その直結が外れ
血液系ネットワークが
深層の自我の管理下へ入る
では内外からinな
神経系ネットワークの諸情報は
どぉなるか?
血液系ネットワークの中で
自己を開示するでなく
回れ右して
神経系ネットワーク
それ自身の中へと戻り
己の中で己を開示すっこととなる
情報が血液に触れることなく
事物が事物の中で己を語り始める
事物情報が染汚(ぜんな)しない
しかし血流管理があまいと
そぉならんので
「修行のゆるくすべからざる」 と
.