弁道話 「 証上の修 」
- 2018/12/02
- 09:20

正法眼蔵 「 弁道話 」 43 )
とうていはく
この坐禅の行は
いまだ仏法を証会せざらんものは
坐禅弁道してその証をとるべし
すでに仏正法をあきらめえん人は
坐禅なにのまつところかあらん
しめしていはく
痴人のまへにゆめをとかず
山子の手には舟棹をあたへがたしといへども
さらに訓をたるべし
それ修証は
ひとつにあらずとおもへる
すなはち外道の見なり
仏法には、修証これ一等なり
いまも証上の修なるゆえに
初心の弁道すなはち本証の全体なり
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修行して悟る
何トボケタこっ言うちょるん!
坐禅する事 = 悟り
悟り = 坐禅する事
道元禅師の言は
これでいつも一貫されてる
さて、静かに身体と向き合う
その坐禅ですが、この己の身体を
この3つのシステム関係から
見てみようぉ! です
1.筋肉系ネットワーク
2.神経系ネットワーク
3.血液系ネットワーク
神経系よりinな諸情報は
血液系ネットワークへと転写書き映されて
身体のトーンを形成してる
と言う機序です
恥ずかしの時赤くなり
ドキィ!の時青くなる
血液は自我の根幹とリンクしてる
神妙なる坐禅をなす時
血液系はどぉなるか?
息をはく時
その息が神妙ならば
ひかえる・ちいさくなる
そんなイメージから
血液が心臓へと戻る静脈を
はく息が活気づける
そして息を吸う時
心臓から輝きがいずる如く
動脈が活気づく、でしょうか
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