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弁道話 「 承 当 」


Utagawa Hiroshige 1129 0729
正法眼蔵 「 弁道話 」  38 )

又しるべし、
われらはもとより
無上菩提かけたるにあらず
とこしなへに受用すといへども
承当することをえざるゆえに
みだりに知見をおこすことをならひとして
これを物とおふによりて
大道いたづらに蹉過す
この知見によりて、空華まちまちなり

あるいは十二輪転
二十五有の境界とおもひ
三乗五乗、有仏無仏の見つくることなし
この知見をならうて
仏道修行の正道とおもふべからず



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自分に対して「 私 」と言える
鉱物・植物・動物と人の違いは
ここにあるだろう?と

実は、これが古今東西大問題でござるですね

( われらはもとより
無上菩提かけたるにあらず )
......
自分に対して「 私 」と言える
はずなのに

( とこしなへに受用すといへども
承当することをえざる )
......
この心身に「私」感を感じない
いつも状況に,感情思いつき(知見)に
振り回されちょる
この生身の身体に
「私」感を承当(ジョウトウ)でけへん


この生身の身体に
「私」感を承当(ジョウトウ)するのが
あてはめるのが坐禅修行ゆえ
これをもって祖師方道元禅師は
坐禅が仏法の核心、仏道の正門
であると確信なさってるわけです

では、とこしなへに受用す「私」を
この身体にちゃんと浸透させると
この身体の主になると、どんな感じなんか?

それは、純粋私感は過不足なき
統一完結な理念感情なので

「 帰家穏坐 」 

穏やか坐る、家へ帰ったが如し
と言うように
円満穏やか&強固になるはずで
悟るの悟らんのとか立派不立派
あるいは様々知見で武装するような
そんな競争チックな野暮な事には
ならないはずやと

そぉ、祖師方道元禅師らの
仏法の核心、仏道の正門は
強固でありながら何処までも穏やかで
そしてオシャレなとこが特徴やと







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