弁道話 「 哲 匠 」
- 2018/11/28
- 16:42

正法眼蔵 「 弁道話 」 38 )
また、仏法を伝授することは
かならず証契の人をその宗師とすべし
文字をかぞふる学者をもて
その導師とするにたらず
一盲の衆盲をひかんがごとし
いまこの仏祖正伝の門下には
みな得道証契の哲匠をうやまひて
仏法を住持せしむ
かるがゆえに
冥陽の神道も来たり帰依し
証果の羅漢も来たり問法するに
おのおの心地を開明する手を
さづけずといふことなし
余門にいまだきかざるところなり
ただ仏弟子は仏法をならふべし
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こん人生で
これぞと言う「哲 匠」(テッショウ)に
巡り会える事が出来るんだろか?
そんな疑念も出ますが
どの人物をして偉大な師と感じるか
それはほぼ
コチラの見識素養に依るんで
こちらが深化して行かんとォ!
ですね
こちらが変わってけば
評価する人物も変わって来る哉
そこで道元禅師のアドバイスは
「ただ仏弟子は仏法をならふべし」
祖師方や道元禅師も仏弟子ならば
「哲 匠」とは、
文字の解説者やのうて
坐禅を通して自己研鑽に励むもんが「哲 匠」やと
そこで大問題は
なして、坐禅みたいな事するのが
仏法の核心、仏道の正門になるのか? です。
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