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弁道話 「 水中の月なり 」


Utagawa Hiroshige 1128 0400



正法眼蔵 「 弁道話 」  37 )



しめしていはく、しるべし
仏家には、教の殊劣を対論することなく
法の浅深をえらばず、ただし修行の真偽をしるべし
草華山水にひかれて仏道に流入することありき
土石沙礫をにぎりて仏印を稟持することあり
いはんや広大の文字は万象にあまりてなほゆたかなり
転大法輪、又 一塵にをさまれり

しかあればすなはち
即心即仏の言葉、なほこれ水中の月なり
即坐成仏のむね、さらに又かがみのうちのかげなり
ことばのたくみにかかはるべからず

いま直証菩提の修行をすすむるに
仏祖単伝の妙道をしめして
真実の道人とならしめんとなり



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綺麗な言葉に感動しても
確かにドエライ感動かもしれんけど
しばらくすれば忘れてしまう
自分は何ら変わっちょらん
美辞麗句に惑わされる事なく
地道真実の修行をなされよ、
でしょうか


こん身体の主になろう!
坐禅は瞑想にあらず
只、神妙にその形をするのみで
特殊な心理状態を目指すにあらず
何気、駅のホームに佇むが如しで
しょうか

ささきはんが坐禅の先生ですか?
て、がっかりされる事があります
トンデモ立派な方が先生になる
そのよな先入観あるゆえ
でしょうか
坐禅は先生になどつかんでも
誰でも出来る
小学生でもバス停で佇む事
習らんでも出来るが如しでしょうか

問題は、3分5分は出来ても
20分30分となると怪しくなる
まず、目を閉じてしまう
ぼやっとしてしまう、身体が窮屈になる

目を普通にあけて
五感も普段とかわらず
家へ帰って穏やかに坐す如し

なして↑こんな単純な事が
出来んのか?

そぉ、私達はこの自分の身体を
己の指揮下においてるわけじゃない

なして使いこなせんのやろ?







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プロフィール

佐々木正巳

Author:佐々木正巳
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「国際交流のための坐禅会」

(ご希望に合わせ随時開催・参加費無料)

2006 東京国立博物館(上野) にて開催
2006~2015 仙台国際センターにて毎月開催
2022 ~  仙台 国見にて随時開催



かつて馬祖 baso の会 e に参じてとふ
「 如何是仏 nyoga-zebutu 」と
馬祖いはく
「 即心是仏 sokusin-zebutu 」と
法常このことばをききて
言下大悟 gonka-taigo す




法常禅師 Ho-zyo zenzi が
馬祖 baso 禅師の坐禅道場で
静かにお坐りになられてる
傍目にそのお姿は、静止してて
水面静まりけり、死人のように見えます
その死んだ水面に、天地が語りかけます
陽光星辰は一瞬も滞らず、その歌を奏でます

法常禅師はある時
馬祖禅師にご質問なされた
「 仏とは、どのようなものですか 」

馬祖禅師が答えます
「 坐禅においては、心が仏となります 」






宮城県仙台市青葉区国見5-6-18
( 5-6-18 kunimi Aobaku Senndai )


仙台にお越しの折は
気軽にお寄り下さいませ

ご連絡先はコチラでした!
090-7325-5711



師 沼田 勇 先生 



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文章を通しての師

Rudolf Steiner 先生
Kōdō Sawaki
沢木 興道 老師 ( 曹洞宗 )










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