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弁道話 「 さしおきて 」



Utagawa Hiroshige 1127 1133

正法眼蔵 「 弁道話 」  36 )


とふていはく、
いまわが朝に伝はれるところの
法華宗、華厳教、ともに大乗の究竟なり。
いはんや真言宗のごときは、
毘盧遮那如来したしく
金剛薩埵につたえへて師資みだりならず。

その談ずるむね、
即心是仏、是心作仏といふて
多劫の修行をふることなく、一座に五仏の正覚をとなふ
仏法の極妙といふべし
しかあるに、
いまいふところの修行なにのすぐれたることあれば
かれらをさしおきて、ひとへにこれをすすむるや



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鎌倉時代において
洗練された仏教の精髄は
既にopen化されてた
そう言う素晴らしきものがあるのに
[ かれらをさしおきて ]
なして、先生は坐禅ばすすめるん
ですか?


高校生の読書感想弁論大会
そぉいったもんには、わしゃ関心なかね!
これが道元禅師の趣意と言えます

これがイイあれがエエちゅうても
確かにそれはエエでしょうが
自分の心身一つ治める事能わず
これは変わらんと

筋肉系ネットワークでは
この心身を静止掌握する事能わず
その熟考です

視覚聴覚等「外」の情報が in すると
それが皮膚感覚も含めて
全身の神経系ネットワークを構築してる

筋肉系ネットワーク・神経系ネットワーク
そして全身くまなく通じてるものに
血液系ネットワークがあります


1.筋肉系ネットワーク
2.神経系ネットワーク
3.血液系ネットワーク


大雑把に見ても身体を構成する
上記3つのネットワークシステムは
トンデモ時間を経て構築されしもの
如何ともしがたい、と言えます

JRさんの新幹線発券システムを
簡単には改変でけん、に同じでしょうか

では、道元禅師等
祖師方と呼ばれし方々は
坐禅を通して、この3システムをどのように運用して
「 帰家穏坐 」 穏やか坐る、家へ帰ったが如し
これを実現実装するんでしょ?









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プロフィール

佐々木正巳

Author:佐々木正巳
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「国際交流のための坐禅会」

(ご希望に合わせ随時開催・参加費無料)

2006 東京国立博物館(上野) にて開催
2006~2015 仙台国際センターにて毎月開催
2022 ~  仙台 国見にて随時開催





道元禅師が述べられる 「 正 法 」 は、坐禅に他なりません
Dogen Zenji's definition of "true Dharma" is nothing other than zazen.
生涯が終わる時、私達はこの身を後にします
身体を持たない心魂の精髄が
その後どのように歩んで行くかは、想像すること能わずです
When our lifetime ends, we leave this body
The essence of the mind and soul without a body
We cannot imagine how we will go on after that.

このレポートでいつも述べている
「 身体の中に線を引いて、それを見えなくなるまで細くする 」
I always state in this report.
Draw a line through the body
and make it thinner until you can't see it.
深い眠りに落ちてゆく感じ、そんな感じがします
睡眠では、意識は途切れてしまいます
一方、「 線の見えない化 」 では意識は当然継続してます
「 線の見えない化 」 と言う、とても積極的行為をしてるのですから
The feeling of falling into a deep sleep
That's what it feels like.
In sleep, consciousness is interrupted.
On the other hand
In "Make Lines invisible ," Awareness Continues, of Course.
「 Make Lines invisible  」  It's a very positive act.

これは、とても不思議な物事の進め方です
「 身体から離れる 」 これを現出させるために
身体の造形行為を、その発射台に活用してます
This is a very strange way of doing things!
In order to manifest this " leaving the body "
I use the act of modeling the body as a launching pad.

「 身体から離れる 」 しかも意識を保っている
何故、これが 「 道 」 なのでしょう
" leaving the body "  and still conscious.
Why is this a "true meaning"?

人は、パンがなければ生きていけない
それを、否定できないでしょう?
それに対する答えは、「 人はパンのみに生きるにあらず 」
悪魔と、キリストとの間でなされた問答です
People can't live without bread.
You can't deny that, can you?
The answer to this question is that man does not live by bread alone
A Question and Answer Between the Devil and Christ

悪魔は、パンを足掛かりに人を操る
身体を足掛かりに、人を操るとも言えます
The devil uses bread as a stepping stone to manipulate people.
It could also be said that
the body is his stepping stone to control us.

しかし、悪魔は私達が進化するために
そのような役割を担ってるとも言えます
But the devil is for us to evolve
It can be said that it plays such a role.

意識は保たれている、しかも身体から離れてる
同時に、坐禅と言う造形を継続してるのですから
身体から離れてないとも言えます
まるで、悪魔を無力化してお縄にしてるようです
Consciousness is maintained.
And it's far away from the body.
At the same time, you are continuing the form of zazen.
you can say that you are not detached from your body.
It's as if he's incapacitating the devil and putting him in a noose.

では、悪魔の方から見たら
それはどんな場面となるでしょう
So, What would this scene be like
from the devil's point of view?

「 やれやれ 」 でしょうか
人の魂を進化させるための鬼コーチ
やっとその任務から解放されます
Good grief, right ?
strict coaches for Evolving Human Souls
He is finally free of that mission

坐禅の中にある解放感
これは坐禅をしてる人の解放感ではなく
人間に関わらざるを得なかった悪魔の解放感だと
任務は終った、霊界へ帰ろう、でしょうか
A sense of liberation in zazen
This is not a sense of liberation for the zazen practitioner.
but the liberation of the demons
that had to be involved with human beings.
I have completed my mission,
let's go back to the spirit world, shall we ?








宮城県仙台市青葉区国見5-6-18
( 5-6-18 kunimi Aobaku Senndai )


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090-7325-5711



師 沼田 勇 先生 



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沢木 興道 老師 ( 曹洞宗 )


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