弁道話 「 正 師 」
- 2018/11/27
- 04:03

正法眼蔵 「 弁道話 」 35 )
ただまさに知るべし、
七仏の妙法は、得道明心の宗匠に
契心証会の学人あひしたがうて正伝すれば
的旨あらはれて稟持せらるるなり
文字習学の法師のしりおよぶべきにあらず。
しかあればすなはち、この疑迷をやめて、正師の教えにより
坐禅弁道して諸仏自受用三昧を証得すべし
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正しい師について
実践せんとね、と
では、
どんな方をして正しい師とみるか
それは自分の素養次第でしょか
あるいは進捗状況にもよるんで
各人各位探求の旅でしょうか
道元禅師における正しき師は
坐禅に落ち着く
坐禅の実践をして宗とす
そのような師を正しき師とおしておられる
それは信仰ですか?と
疑念も出ますが、
逆にリアル過ぎて付いて行けへんのが
この坐禅弁道となってる
どこがリアルかと言うと
日常動作からスポーツまで
身体を使って何かする←ここでは
筋肉系ネットワークが主になる
一方、動作やのうて
ヘリのホバリングみたいに
身体を静止掌握せんとしたら
筋肉系ネットワークでは抑えこめん
あえてそぉすれば
それこそ自縛になってまうがな
でしょうか
「打つ」や「蹴る」の競技では
その力がボールに伝わる
ボールの方からすると被害被る
って問題起きませんが
同じのりでその力を自分に向ければ
そりゃ自縛自爆してまうがな
でしょうか
坐禅が流行らん、誰もせんのは
このスキームゆえと
.