弁道話 「 読経念仏 」
- 2018/11/24
- 07:58

正法眼蔵 「 弁道話 」 29 )
とふていはく、
「あるいは如来の妙術を正伝し
または祖師のあとをたづぬるによらん、
まことに凡慮のおよぶにあらず。
しかはあれども、読経念仏は
おのづからさとりの因縁となりぬべし。
ただむなしく坐してなすところなからん、
なにによりてかさとりをうるたよりとならん。」
しめしていはく
「なんぢいま諸仏の三昧、
無上の大法を、むなしく坐して
なすところなしとおもはん、
これを大乗を謗ずる人とす。
まどひのいとふかき、
大海のなかにいながら水なしと
いはんがごとし。
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正法眼蔵 「 弁道話 」 29 )
坐禅はハードル高ッ!
じゃないすか?
実際してみると眠たくなるわ
拷問とは言わんけれど
型に押し込まれたよ
ほぼォパワハラちゃうん?
これが正直なところでしょうか
それに対して
読経念仏はとっつき易い
その方がええんとちゃいまっか?
確かにィ!ですね
実際、イベントとして仏教を開催しよとしたら
読経念仏鐘太鼓、鳴らしもんが
なければ絵にならへん、です
実際現場はそのよに推移して来たし、です
それに対して
釈尊そして諸先輩方がなさった
仏道の基本根幹本道正門は、どこまでも坐禅である
と言う道元禅師の趣旨はなにゆえ
とっつきにくいのか乖離するのか? ですね
それは、「 坐禅は力ずくでは出来ん 」 から
でしょうか
.