FC2ブログ

記事一覧

弁道話 「 正 門 」


Utagawa Hiroshige 1123 2324




正法眼蔵 「 弁道話 」  28 )



いまこの坐禅の功徳、高大なることをききをはりぬ。
おろかならん人、うたがふていはん、
「仏法におほくの門あり、なにをもてかひとへに坐禅をすすむるや。」

しめしていはく
「これ仏法の正門なるをもてなり。」

とふていはく、「なんぞひとり正門とする。」

しめしていはく
「大師釈尊、まさしく得道の妙術を正伝し、
又 三世の如来、ともに坐禅より得道せり。
このゆえに正門なることをあひ伝へたるなり。
しかのみにあらず、
西天東地の諸祖、みな坐禅より得道せるなり。
ゆえにいま正門を人天にしめす。」




--------------------------------------------------------




一万年前に生きてた方々
どんな心身と表象の中に
日々を送られてたんか?
今と違ってたはずやろな、ですね

ココ「二千五百年」を見ても
ニュートンさん以降の自然科学
取入れし近代人と
それ以前の自然哲学な思考してた
人々の内面外界はかなり違うやろな、です

そしてこの20年の
通信技術の飛躍的変化
スマホ文化ご到来で個々人が
どんな表象時空におるかは
同じ2018年におっても
銘々違うやろな? ですね

多極化してく
多極化も多極化、70憶(人)くらい
多極化する方向でしょか、です

個々人に分断されて行く
とも言えるし
個々人が自立せんとね、て
時代が向いてる、とも言えます

「自立せんとね!」

自立と言やぁ、
釈尊の「自灯明」でしょうか
二千五百年前のテーマが継続してる
そして、字の通りそのまんま
自立を現すが坐禅の形けん
それが「正門」だと

じゃ、なしてこんお話しが
流行らんかっちゅう要点です
それは坐禅は型であり姿勢なんだけど
力ずくで出来るもんじゃなきゃ
ここでしょうか





.



コメント

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

佐々木正巳

Author:佐々木正巳
-----------------------------------


「国際交流のための坐禅会」

(ご希望に合わせ随時開催・参加費無料)

2006 東京国立博物館(上野) にて開催
2006~2015 仙台国際センターにて毎月開催
2022 ~  仙台 国見にて随時開催



かつて馬祖 baso の会 e に参じてとふ
「 如何是仏 nyoga-zebutu 」と
馬祖いはく
「 即心是仏 sokusin-zebutu 」と
法常このことばをききて
言下大悟 gonka-taigo す




法常禅師 Ho-zyo zenzi が
馬祖 baso 禅師の坐禅道場で
静かにお坐りになられてる
傍目にそのお姿は、静止してて
水面静まりけり、死人のように見えます
その死んだ水面に、天地が語りかけます
陽光星辰は一瞬も滞らず、その歌を奏でます

法常禅師はある時
馬祖禅師にご質問なされた
「 仏とは、どのようなものですか 」

馬祖禅師が答えます
「 坐禅においては、心が仏となります 」






宮城県仙台市青葉区国見5-6-18
( 5-6-18 kunimi Aobaku Senndai )


仙台にお越しの折は
気軽にお寄り下さいませ

ご連絡先はコチラでした!
090-7325-5711



師 沼田 勇 先生 



----------------------------------

文章を通しての師

Rudolf Steiner 先生
Kōdō Sawaki
沢木 興道 老師 ( 曹洞宗 )










.

最新記事

カテゴリ