弁道話 「 仏向上 」
- 2018/10/26
- 09:56

正法眼蔵 「 弁道話 」
18 )
これらの等正覚、さらにかへりて
したしく あひ冥資するみち
かよふがゆえに、この坐禅人
確爾として身心脱落し
従来雑穢の知見思量を截断して
天真の仏法に証会し
あまねく微塵際
そこばくの諸仏如来の道場ごとに
仏事を助発し
ひろく仏向上の機にかうぶらしめてよく仏向上の法を激揚す
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「 仏向上 」
向上心の向上
もそっと、ましになろか、その向上ですね
その向上の文字に、「仏」 がついてます
仏、釈尊を目指そうぉ! とも読めますし
釈尊をさらに超えて行こう! そうとも読めます
どう理解すればいいんか?
坐禅をする事、是を超多面的に説いてる
プレゼンの趣旨は一貫してる
この視点で「 仏向上 」を読むと
追いつく至る事でも
さらに追い抜く事でもなく
「 他は是、我にあらず 」
己の勤めをせにゃ!でしょうか
釈尊ですら自分ではない
偉人聖人神々ですら
我にあらず、自分ではない
目の前、遥か彼方を見て
溜息つくんやのうて
我が国土の守備をかためんか
それを「 仏向上 」 と述べてらっしゃる
比較を超えて生きていこか
これは、精神論ですが
この生身の身体を造形する事
姿勢を制御してる時
私達は結果必然、比較のない世界に生きてる
比較のない世界は
気軽でええですよ、ですね
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