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正法眼蔵 弁道話 16


Hiten 11


正法眼蔵「弁道話」 

16)


ゆえに、諸仏如来をしては
本地の法楽をまし
覚道の荘厳をあらたにす
および十方法界、三途六道の群類
みなともに一時に身心明浄にして
大解脱地を証し
本来面目現ずるとき
諸法みな正覚を証会し
万物ともに仏身を使用して
すみやかに証会の辺際を一超して
覚樹王に端坐して
一時に無等等の大法輪を転じ
究竟無為の深般若を開演す



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「 深般若を開演す 」
開場は17:30、コンサートのスタートは19:00より
その「開演」でしょうか
何が開演するか、深般若 ( が ) 開演される
そう仰ってる

いや、深般若 ( を ) 開演す、そう仰ってるので
私達は観客にあらず
観る側でなく、する側だっちゃ
でしょうか


道元禅師のReportは
坐禅をする事 = 覚道の荘厳・大解脱地・本来面目・正覚・深般若

色々言葉表現が出て来ても
このシンプル方程式で一貫なされてる

普通、学習学問知恵の獲得は
その深い「理解」とイコールですが
道元禅師の智慧は
「坐禅をする事」とイコールなってる

でも、その坐禅を実際してみると
身体は窮屈だし眠くなるし
そう、坐禅は数分で「自滅」するよな仕掛けになってる
こりゃ流行らんわにゃ、ですね
インド・中国そして日本に坐禅が根ずかんかった
その理由わけでしょうか




敬意畏敬の念なくば
身体の末端、手足指先から
身体の中心方向へのベクトル感
それは出てこんですね
この対中心方向の力線に
吐く息が寄り添うと身体全体で
息する感じになるような、ですね

深般若の「深」は
隅々まで使用する駆使する
その「深く」でしょうか


神仏を向こうに拝し
そして畏敬の念を持つ
これ(宗教心)はありでしょうが
対象を持たず、対象に依存せず
独創独歩の畏敬の心を維持でけるか

道元禅師の智慧の獲得は
そこにかかっちょる、でしょうか







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プロフィール

佐々木正巳

Author:佐々木正巳
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「国際交流のための坐禅会」

(ご希望に合わせ随時開催・参加費無料)

2006 東京国立博物館(上野) にて開催
2006~2015 仙台国際センターにて毎月開催
2022 ~  仙台 国見にて随時開催



かつて馬祖 baso の会 e に参じてとふ
「 如何是仏 nyoga-zebutu 」と
馬祖いはく
「 即心是仏 sokusin-zebutu 」と
法常このことばをききて
言下大悟 gonka-taigo す




法常禅師 Ho-zyo zenzi が
馬祖 baso 禅師の坐禅道場で
静かにお坐りになられてる
傍目にそのお姿は、静止してて
水面静まりけり、死人のように見えます
その死んだ水面に、天地が語りかけます
陽光星辰は一瞬も滞らず、その歌を奏でます

法常禅師はある時
馬祖禅師にご質問なされた
「 仏とは、どのようなものですか 」

馬祖禅師が答えます
「 坐禅においては、心が仏となります 」






宮城県仙台市青葉区国見5-6-18
( 5-6-18 kunimi Aobaku Senndai )


仙台にお越しの折は
気軽にお寄り下さいませ

ご連絡先はコチラでした!
090-7325-5711



師 沼田 勇 先生 



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文章を通しての師

Rudolf Steiner 先生
Kōdō Sawaki
沢木 興道 老師 ( 曹洞宗 )










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