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正法眼蔵  弁道話  15

正法眼蔵「弁道話」 

15 )


ゆえに、諸仏如来をしては
本地の法楽をまし
覚道の荘厳をあらたにす
および十方法界、三途六道の群類
みなともに一時に身心明浄にして
大解脱地を証し
本来面目現ずるとき
諸法みな正覚を証会し
万物ともに仏身を使用して
すみやかに証会の辺際を一超して
覚樹王に端坐して
一時に無等等の大法輪を転じ
究竟無為の深般若を開演す



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Dainichi Nyorai 12th century 500

荘厳、( そうごん ) ( しょうごん )
重々しくおごそかなこと

2018年の日常でそのよなもの
対面する事はまずないかなあ、ですね
気張って
日曜の早朝暁のころ車を飛ばし
牡鹿半島 御番所公園パノラマ展望台や
蔵王エコーライン山頂付近におれば
それこそ荘厳
重々しくおごそかな黎明を拝せる
これはありでしょうか

坐禅をするとなにゆえ
荘厳があらたになるんか、です

坐禅はスポーツ競技に属さず
宗教ジャンルの中で伝わって来た
これはゆえなき事にあらず、かも知れません
精神性が根幹にあったからそうなった
それは推測されます

では、その精神性って
どんな精神性なんかな、ですね

神仏を向こうに見てそれを信仰する
それではない、これは明らかです
只坐る
それで荘厳身心明浄だと仰ってるわけですから


只、何気考えても
ちょこっとお坐りして
即、身心明浄になるわけない
これは明らかです

刀鍛冶さんは、只トンカチを振ってるけど
真摯神妙に打ってる
なんで、荘厳明浄なる刀・和包丁が出来て来る

真摯神妙に業務を遂行するから
仕事に張りと潤いが出て来る

只坐るっちゅうても、ええ加減してたら
荘厳明浄になっことは
まずないだろうなあ でしょうか

じゃ、職人さんの一手
お仕事業務遂行の真摯さ
それと坐禅の違いは
どこにあるんだろう、ですね

是は、坐禅は頭は使わんけど
全身を隅々から駆使してる
そこでしょうか

真摯神妙全力でなすが 「 禅 」
この知見は
一見それらしく納得致しますが
坐禅とそれ以外
同じく真摯神妙にしても
それは微妙に、大いにちゃうもの
まったく別ものと言えます


もの創りや
会社業務のお仕事は
常に思考(頭)を働かせにゃ、ですね

一方坐禅は
駅のホームに佇む時のよう
五感は普通正常に機能してても
別に思考(頭)を駆使してるわけではない
と言えます

五感が普通正常で、かつ
思考(頭)はお仕事から解放されてる
それゆえ
全身身体の隅々で
真摯神妙なる息を駆使できる、と言えます

スポーツや日々のお仕事も
全身全霊でなす、これは同じですが
優劣・効率・顛末結果を
どうしても勘案せにゃなりゃん、でしょうか

坐禅はそこをはぶいてる
ゆえに
全身隅々で思い存分息を駆動するが可となる

全身を隅々から使う
ありそでなきゃ事、と言えます。






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