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正法眼蔵 弁道話 13

2018年10月13日16



正法眼蔵「弁道話」 

13 )


もし人、一時なりといふとも
三業に仏印を標し
三昧に端坐するとき
遍法界みな仏印となり
尽虚空ことごとくさとりとなる 


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三業(さんごう)の三は、
身口意(しんくい)の三で
身体の構え・口、意識の在り様

今の自分、今の在り様でしょうか

「仏印を標し」
はんこ(印)を押しますと
毎回ほぼ同じようなものが
押印されます 凹凸が転写される

何故に坐禅と言う姿・形が
釈尊の「印」であるのか?

この印(坐禅)を押すと
ほぼ釈尊の内容に等しくなる
と、仰ってる ・・のですが


同じ場所、同じ時間にいて
家族・親友・子弟と言えど
同じようなもの感受してるかも
との推測は出来ても
まったく同じだろうか?
と言うと、土台証明できっこない
そりゃそぉーだ、でしょうか

同じ空気を息しててそうですから
千年前・三千年前のある方の
その内容と自分の内容が「同じ」
であると証明しえないのは
そりゃそぉーだ、でしょうか

一方、身体を隅々まで掌握する
これは、ある程度真似る事が
出来るかもしれません

手足のつめ先は
身体の外周外縁と言えます

身体の中央な、頭・腰腹そして胸部
これがAとすると
A↔ZのラストZが手足のつめ先
とも言えます

普段、A↔Z間で息してるだろうか?
まっ、してないなぁ~ ですね

坐禅が「仏印」なのは
20のつめ先をよく意識化できる
なので、A↔Z身体全体で息できるから
と言えます


手を円相に組む「法界定印」
これを何の説明もせず強要すると
パワハラを超えほぼ傷害罪?
かも知れません

しかし身体全体で、A↔Zで
息したらどんな感じだろうか?
つめ先が意識化しやすい法界定印で
息してみよう
そんな意識で息してみれば
身体全体で息するだけで
普段とはちょっと違うかも
でしょうか






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プロフィール

佐々木正巳

Author:佐々木正巳
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「国際交流のための坐禅会」

(ご希望に合わせ随時開催・参加費無料)

2006 東京国立博物館(上野) にて開催
2006~2015 仙台国際センターにて毎月開催
2022 ~  仙台 国見にて随時開催



かつて馬祖 baso の会 e に参じてとふ
「 如何是仏 nyoga-zebutu 」と
馬祖いはく
「 即心是仏 sokusin-zebutu 」と
法常このことばをききて
言下大悟 gonka-taigo す




法常禅師 Ho-zyo zenzi が
馬祖 baso 禅師の坐禅道場で
静かにお坐りになられてる
傍目にそのお姿は、静止してて
水面静まりけり、死人のように見えます
その死んだ水面に、天地が語りかけます
陽光星辰は一瞬も滞らず、その歌を奏でます

法常禅師はある時
馬祖禅師にご質問なされた
「 仏とは、どのようなものですか 」

馬祖禅師が答えます
「 坐禅においては、心が仏となります 」






宮城県仙台市青葉区国見5-6-18
( 5-6-18 kunimi Aobaku Senndai )


仙台にお越しの折は
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ご連絡先はコチラでした!
090-7325-5711



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