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正法眼蔵 弁道話 11

2018年10月13日14




正法眼蔵「弁道話」 

11 )

曰く、仏法を住持せし諸祖ならびに諸仏
ともに自受用三昧に端坐依行するを
その開悟のまさしきみちとせり

西天東地、さとりをえし人その風にしたがへり
これ、師資ひそかに妙術を正伝し
真訣を稟持せしによりてなり



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端坐依行(たんざえぎょう)

端正なお顔をなされてる、の「端」
まっすぐ、きちんとしてると言う端に
坐るが続くので、「端坐」は
まっすぐお行儀良くお坐りになってる感じになります

「依行」に依(エ)は、
依拠するの依(イ)で、より所・根拠の意味

道元禅師の提言は、どこを読んでも一貫してて

仏法・自受用三昧・開悟・真訣(しんけつ) 等々
色々言葉が出てきますが
それらはみな
坐禅を 「 する事 」 と同義になってる

さて、ラーメン屋さんへ行って、ラーメンが出て来て美味しく食べる
これがラーメン屋さんへ行く意味でしょうか
一方、お店に入ったらラーメンは出てこないで
30分ほどラーメンの歴史・ラーメン用語の説明を聞かされた
是は在り得ない事です
このお昼ご飯の事は理解出来ても

仏法・自受用三昧・開悟・真訣
= 坐禅を「する事」

何故、こう結びつくのか? これは一見不明です

これは、それらが結びつく理由が
坐禅の 「 デザイン構造 」 にあるからです

身体の先端である
両手足の20の 「 爪先が意識しやすい 」
そんなデザイン構造になってる

世界各国、国境問題はとてもデリケートな問題です
人が住めない小さな岩島でも
ここまでが我領土である、との主張は
対外的にも対国内的にもないがしろにはできない

住宅地の境界線も
普段は曖昧で済みますが
いざ売買となると、大いにもめる事は大いにあります

また、新幹線の座席でも
ありえませんが、お隣りさんが足を組んで
こちらにはみ出して来たら、えっ?てなるはずです

境界線は「隠れ重要事項」、だと言う事でしょうか

自己の主体性(精神)を発揮して身体を掌握する
身体を把握する事で
主体性(精神)を育成する

この坐禅の実際(姿勢の形成)は
空理空論精神論ではなく
「姿勢を形つくる」と言う現物対応物が在るので
身体の末端・先を「つかむ」「握る」
その感覚が必要となるわけです
でないと虚空をつかむような感じになって
イコール、主体性(精神)の育成にはならなくなる

身体の「国境」である
手足のALL爪先が意識しやすい!
これが坐禅の
「デザイン構造」の特筆すべき点と言えるわけです







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