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正法眼蔵 弁道話 その7

2018年10月13日09



正法眼蔵「弁道話」 

7)

しかあるに
弘通のこころを放下せん
激揚のときをまつゆえに
しばらく雲遊萍寄して
まさに先哲の風をきこえんとす
ただし、
おのづから名利にかかはらず
道念をさきとせん
真実の参学あらんか。


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正法眼蔵のスタートは
帰国後4年目の1231年、道元禅師31歳の時です

 「弘法衆生をおもひとせり」

人々(衆生)のためになる
この教育プログラム(坐禅)を広めよう

この思いで帰国したけれど
道元禅師ご自身がお世話になった
既存の教育プログラム(比叡山・天台宗)が
既に400年の時を刻んでいる


  「弘通のこころを放下せん」


この法・坐禅を中心とした
教育プログラムの普及は
断念せざるをえない致し方なし、であると

あるシステムが
百年スパンで継続すれば
精神の拠り所、プライド
上下人間関係を超え、衣食住収入の在り方
そう、多くの方の人生そのもの
それが寄り添うようになるでしょうか


道元禅師に悪意はなくても
結果的には
多くの人々に根本的変革を迫るものであり
とても容認されうるものではなかった

この背景の中から
正法眼蔵と言うレポート
これだけは後世へ残しておこう

このレポート(正法眼蔵)は、
歴史の表層に出る事を想定して
始められたものでなく、初めから
貴重な地下水脈として構想された
と言えます

  「激揚のときをまつゆえに」

激(強くつき動かす)・揚(声をはりあげる)
そのような時を待って、
先人達が目立たぬよう精進したように
私も道念堅固を貫こう! ですね。


   「真実の参学あらんか」


そして、道元禅師の「道念」とは
姿勢(坐禅)を形つくる、身体を掌握する
己の形姿を主導する「主体性」
それをどこまでも発揮して行こう!
と言う風に、
とてもシンプルな実生活上の対応物 ( 坐禅 ) を
いつも有しているわけです。







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