正法眼蔵 弁道話 その6
- 2018/10/01
- 11:55

正法眼蔵「弁道話」
6)
全公は、祖師西和尚の上足として
ひとり無上の佛法を正傳せり
あへて余輩のならぶべきにあらず
予かさねて大宋國におもむき、
知識を両浙にとぶらひ、
家風を五門にきく。
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1217年、17歳の道元禅師が師事した
全公(明全)と言う方は
建仁寺の栄西禅師の高弟であられた
(栄西禅師はこの2年前
75歳で亡くなられています)
どの道であれ
師事した先生、上司先輩に対し
「素晴らしい方でした。」
このように心底回顧出来る方は
幸せな豊かな方ですね
発心求法よりこのかた、
わが朝の遍方に
知識をとぶらひき
14歳で出家なされてからずっと
日本国中、「この方」と言う
人物(知識)を探されてこられたので
師事した時から一貫して尊敬なされてた
と推測されます
1214年時点での
この人生プログラムは
学校大学・会社を選んで人生を託す
今の人生構築法とは、全く異質ですね
「この方に師事する」
その自由往来が認められていた
と言えます
そして、道元禅師23歳の時
師の明全と共に中国へ渡り
浙江省を中心に諸山を巡られる
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つひに大白峰の淨禅師に参じて
一生参学の大事ここにをはりぬ
それよりのち、
大宋紹定のはじめ本郷にかへりし
すなはち弘法衆生をおもひとせり
なほ重擔をかたにおけるがごとし

そして、浙江省の天童山景徳寺にて
天童如浄禅師にお逢いし
[ 一生参学の大事ここにをはりぬ ]だったと
23歳で中国へ渡り
28歳 1228年に帰国なされた
ちなみに先に師事した明全師は
病に倒れ 1225年景徳寺で亡くなられています
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