正法眼蔵 弁道話 その5
- 2018/09/30
- 14:01

正法眼蔵「弁道話」
5)
「予発心求法よりこのかた、わが朝の遍方に知識をとぶらひき
ちなみに建仁の全公をみる。
あひしたがふ霜華すみやかに九廻をへたり。
いささか臨濟の家風をきく。」
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この講話時、道元禅師32歳、中国(宋)から帰られて3年目
今お話ししてる方々へ自己紹介ですね
20代どうなさってたか、お話しされてる
[ 予、発心求法よりこのかた ]
余は満足じゃ!の余(予)
予定の「予」、あらかじめ・前もって
↑これと「私」が何故イコールに?
この言葉が規定された当時
「私」は受精受胎以前、誕生日以前から存在していた
この了解認識があったればこそ
でしょうか
この世を去っても、この身体から離れても
私は、継続するんだろうか?
これは、「不死」の問題提起
この夕焼け問題の対照をなすのが、朝焼け問題ですね
生まれる前から、身体に入る前から
「 私 」 は在ったんだろか?
予は、私は、
(あらかじめ・前もって)
それが本旨だと言うわけですから
「 予 = 私 」 で不生を表してます
お日様が東の空で
パァ!とお生まれなされた
西のお空で
パァ!とお亡くなりなってもうた ・・
いや、お出ましになられる前から
御隠れなられても
ご健勝は変わる事なし、でしょうか
これは推測できるのに
不生・不死問題は
記憶・意識が及ばないので
解明能わずは致し方なしですね
「発心求法よりこのかた、
わが朝の遍方に知識をとぶらひき ちなみに建仁の全公をみる」
今の学童年齢では
中2で出家なされ、高2の時に
建仁寺にて栄西禅師の弟子「 明 全 」 師に師事
「あひしたがふ霜華
すみやかに九廻をへたり
いささか臨濟の家風をきく」
明全師(全公)は、、道元禅師より16歳年上
17歳の道元禅師が師事した時明全師は33歳
道元禅師は17歳から9年間
26歳まで師事なさった、と言う事でしょうか
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