正法眼蔵 弁道話 その4
- 2018/09/28
- 10:34

正法眼蔵「弁道話」
4)
いま教ふる功夫弁道は、
証上に万法をあらしめ、出路に一如を行ずるなり。
その超関脱落のとき、この節目にかかはらむや。
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これからお伝えする内容を
一緒に工夫してやっていこう!
ならば、何をやろうとしてるのか、の説明ですね
[ 証上に万法をあらしめ]
姿勢の制御が「修」
その同時進行の果実ご褒美が
主体性の発動!それが「証」
こんなリンクスキームですので
その証、主体性の発動に「万法をあらしめ」とは、・・
みんなお持ちやけど
十分起動してない主体性は
実は、個人的能力を超えた
「万法」すなわち、とんでもない能力機構なんだ
その個人の能力を超えた
「個人的能力」を発動させよう!
これが、証上に万法をあらしめ、でしょうか
[ 出路に一如を行ずるなり ]
姿勢を正す、これは本人にしか出来ない案件です
確かに、入学式や卒業式あるいは職務上の敬礼
いろんな場面で姿勢を正しますが
そりゃ社会生活上の義務・職責
坐禅のように
意味なく対価報酬なく姿勢を正そうとしたら
それが出来るのは本人only!
て言う事になる
これが坐禅の気がきいた所
オシャレなとこでしょうか
昔は、能力開発の為に坐禅したですが
大絶賛大推奨の文章は少ない
効果は薄かったんかも、ですね
そりゃそぉでしょう、です
坐禅をしても能力は上がりゃん
「能力」とは対社会・対戦能力ッ!でしょうから
自分を相手にする坐禅をしても
対戦能力向上せんのは、当然とも言えます
[ 出路に一如を行ずるなり ]
(出路に・・)どこへ踏み出すのか?
ここが大問題になります
社会・戦場へ踏み出すんじゃのうて
対外能力やのうて、
全身この一つの身体(一如)
それを相手にしようじゃないか! ですね
それをまるごと掌握しよう!
[ その超関脱落のとき、
この節目にかかはらむや。]
A.通常言語での能力は
対社会的・対戦能力で
B.坐禅で姿勢を正すは
対自分能力なんですね
こんな理解でいいでしょうか?
となるわけですが、
自分の一身、現物としての
この身体に対する指揮権の行使は
対社会活動、その感覚も大いに変えてしまう
[ 超関脱落 ] この関は関係の関
AorBあるいはA&Bそう言う対比を超えて
全身を制御する事は、ドエライ事なんだ!
[ 節目にかかはらむや ]
対外関係、対自関係ちゅう分類を、凌駕してしまう!
人生全体に影響して来る!
一人親方の職人さんから
1000憶企業の企業統治
一国の国家統治
こりゃどえらい精神活動の賜物です
ぼやっとしてたら分解霧散してもう
そして、それと同等以上に
40兆あまりの身体の細胞を何気に並べる事は
一如に並べる事はドエライこっなんだ! ですね
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