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正法眼蔵 弁道話 その2 -1

2018年10月13日04



正法眼蔵「弁道話」


2)
  この三昧に遊化するに、
  端坐参禅を正門とせり。
  この法は、人人の分上に
  ゆたかにそなはれりといへども
  いまだ修せざるにはあらはれず
  証せざるにはうることなし。


- - - - - - - - - - - - - - -

美しきものをめでるには、
健康な目があった方が良い
旬のものを食するには
健康な歯があった方がええ

何気ない日常、日々の生活ですが
何かを享受するには
それを受け止めるに
ふさわしいもんがある、でしょうか

「この三昧に遊化するに、」
自分の主体性を明らかにするには
「端坐参禅を正門とせり。」
坐禅がええですよォ!
そう仰ってるわけですね。

只じっと坐って、目も普通に開けて
何かを熟考するわけでもなく
通常の心理状態で只坐っている
これが何故、銘々隠し持ってる
「主体性」の発揮証明となるのか?

是はお寺に行かずとも、先生につかずとも
静かな時間、場所を確保して
静かに坐ってみるとすぐ証明出来ます

身体を制御できない、ノン「UnderControl」じゃないか!
この事実が坐禅をすると、数秒で明らかになる


大きなトラックがスムーズに左折して行く
手際よくキーボードを打たれてる
身近なお仕事でも
その様にスムーズに出来るよう成るには
積み重ねあればこそ、
なんだろうなと推測できます


一方、特殊な心理状態は一切無視
只、威儀を正して坐禅の形に身を整える

こんな簡単な事、
身体姿勢に対して「主導権」があるならば
出来るはずなんだけど ・・ 身を整える事は難事だぁ!

そぉ、坐禅で明らかになるのは
身体に対する「主導権」の有無、その一点だと言う事ですね。

 「この法は、人人の分上に
  ゆたかにそなはれりといへども
  いまだ修せざるにはあらはれず
  証せざるにはうることなし。」

主体性は、みんなお持ちになってる
しかし、その主体性が
現実の生活に現われるなら
それは身体に対する「主導権」(姿勢)として現れて来る
主体性とはそのように、とても強力強烈なものだと!


近くの生協までお買い物
軽で行こうが3ナンバーで行こが、対して変わらずです
それが高速の長い坂道登ろとしたら
差が出る大いに出てくる

エンジンの出力・秘めたる力は、その時初めて明らかになる
こうも言えます、
高速の長い坂道に出なければ
その大型車の力は、宝の持ち腐れになってしまったはずだと

 「人人の分上に
  ゆたかにそなはれり」

この私達が皆保持してる「主体性」
それはニッサンGT-R位の強烈エンジンだと

味噌ラーメンにしよか
回鍋肉定食しよか ・・
是も確かに「主体性」ですが
これはポルシェでドンキへ行くよな
もんでしょうか

主体性の発露は
身体に対する「主導権」の行使
それも静かな心理状態で、只威儀を正す、お行儀良くしてる
と言う、とてもあっさりした中に
その発現はMaxになる、さすがポルシェや!となる


 「修せざるにはあらはれず
  証せざるにはうることなし。」

と、強く念を押されてるわけです

坐禅がエエよォ!
これは、エンジン全開な
高速道・長い登り坂へと、ドライブしませんか!
是と同義なわけですね。









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