正法眼蔵 弁道話 その1
- 2018/09/24
- 10:46

正法眼蔵「弁道話」
美しいものを見ている、その時
美味しいものを食してる、その時
美しいィ!し、美味しいィ!
そこにはコンマ0.1秒位は
時間差あるかも知れないけれど
する事、そう見る事と食する事
それと、得る事
美しさや美味しさを得る事は
同時進行ですね
正法眼蔵 第一巻「弁道話」
これは道元禅師が宋から帰国した
4年後の1231年、京都深草の安養院にて
寂円(じゃくえん)、懐奘(えじょう)、了然尼(りょうねんに)
それらの方々へお話しされたその内容ですね
弁道話の「弁」の字は
どんな意味なんか?です
大阪弁の弁、弁論の弁、弁には
話すという意味がありますので
「道のお話し」のお話し、そうとも読めます
一方、「弁」には花びらという意味
けじめをつける(弁済)という意味
そして心臓弁膜等で使われる
流体を制御するという意味があります
次に、弁道の「道」とは何か
学術的解釈から離れ
自分の人生に置き換えてみると
道とは人生そのもの、時間そのものでしょうか
みんな唯一無二の人生を歩んでる
いくら親子・夫婦・親友といえど
その人の人生を歩むのは、その人ひとりでしょうか
そこで道元禅師の「道」は、
誰の道か? という問いですね
そう、それは釈尊の道でしょうか
では、その道の個人崇拝か?
と言う疑問です
そうとも推測出来ますが
千年スパンで世界の俊英が
釈尊にアプローチして来られた
その中には歴史現象・文化現象
人の営みの中にある
表層としての釈尊・仏教と
それとは関わりなく光明を放つ
そのスピリッツとしての地下水脈
それがあるようにも思えます
それが無ければ、どっかの時点で
消えて行ったのではないかと
世界の俊英方は表層に惑わされず
そん地下に隠れしもの見つけ
驚嘆したのではないでしょうか
ピタゴラスの定理
直角三角形をなす3辺の内
2辺の長さを知る事出来れば
残りの1辺の長さは知ることが出来る
これは、
人間としてのピタゴラス先生やピタゴラス家
そして数学学会に依拠しているか?
ピタゴラス先生を信じるから
ピタゴラスの定理は真理になるのか
いや、、ピタゴラス先生の人生
数学学会の歴史推移とは関係なく
ピタゴラスの定理は二千年前証明できたし
たぶん?二千年後も
2辺が分かれば残り1辺は分かるはずでしょう
直角三角形なら ・ ・
正法眼蔵「弁道話」
この題名の(道)は、唯一無二の釈尊の道ではあるけれど
同じように自分を自分で生きるようそう既定されてる
私達一人一人が、参考に出来る「道」なんです!
道元禅師はこの時32歳、お若いですが、
釈尊を神棚に上げるために
あるいはご自身を崇拝の対象にして
うまい事しようか、って
道を説いたとは考えずらいですね
銘々自分で自分を生きるしかない
それは我々がそうだし
若き道元禅師もそうだったし
そして釈尊ご自身も同じだった
だから、皆で釈尊の道を参考にしようじゃないか!
その時、道元禅師はお若いけれど
この深い親切心から
お話しを始められたよう感じられますね
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正法眼蔵「弁道話」
諸佛如來、ともに妙法を単伝して、
阿耨菩提を證するに、最上無爲の妙術あり。
これただ、ほとけ佛にさづけて
よこしまなることなきは、
すなはち自受用三昧、その標準なり。
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