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お疲れ様ですっ!

9月11日 月曜日
如何お過ごしでしょうか?

あったらしきぃ!
一週間のスタート
けっぱって行きまっか!

昨日は、38年ぶりに
キリスト教の礼拝に
参列致し候でした

せっかく
キリスト教系の大学へ
来たけん
勉強してみっか チュこって
どこでどうなったんか
目黒の下宿から白山の教会へ
毎週お通い申した
だったっけ

え、それがなして
坐禅の研究へ転じたかって

はたちん時は
聖書は手ごわ過ぎて
ご本人からすっと
ピンとこんパットせん

おもろないなぁ~
て、渋谷から青山あたりば
歩いてて、偶然めっけが
坐禅会の案内板

富士フィルムの本社ビル
そっから奥へ行ったとこに
「 永平寺東京別院 」
があり申した、と



日々世界中で
宗教儀礼がなされちょるん
だろうなぁー です

法律が国家の骨格ば
作っちょるよー
みんなが集まり
儀式の形式ん中で
揺れ動く心ば
ある精神へと形成すんべ
チュ営みは、
千年スパンで
継続しちょるんだろうなぁ
ですね


日本も戦後しばらくは
仏壇や神棚が
どこの家にもあって
手ば合わせる チュ
シンプル簡素化した
宗教儀礼?が残っちょった
んでしょうね

今から思えば
テレビ・冷蔵庫・洗濯機が
三種の神器ちゅうのは
それまで
仏壇と神棚が
家の家族の精神ば
指導しちょったんが
それらが何とのう消えて
精神形成指導者が
交換なされた 
てな
日々の精神形成の転換点
だったんかな
ですね


さてさて
久しぶり教会の礼拝に
参列してみて
そのご感想と言うと

「 信仰は我内にあり 」
でしょうか




道元禅師の文章ん中にも
「大衆の威神力」て
一人では心もとないけど
みんな寄り集まり
一緒にすっと
そりゃドエライ空気ば
形成する て指摘せれちょる



そりゃお酒も
一人お部屋で飲んじょれば
気勢も上がらず
パットせんですが

みんなでわいわいすっと
そりゃ
まったく別もんに
なるでがんす ne

ちゅうても
翌朝になれば
バカな事、またしてしもうた
是もまた
毎度の成り行き哉
です







「 信仰は我内にあり 」


人が集い
同じ事ばする
同じ思いばなす
そりゃええもんどす



一方に
「 信仰は我内にあり 」
でしょうか

パウロという方の
「 我内なるキリスト 」
という言葉


是は、
役ん立つ自戒でしょうか


生涯年金?
じゃないですが
こん言葉ひとつで
身んから離れるその日まで
なんがなくても江戸紫
元気にやってけそう
そんな気になります


パウロという方の
「 我内なるキリスト 」
という言葉


呼気、息ばはいちょる
そん歌声と
血液が胸へとお戻りになる
家へとお帰りになる
静まる 安住す 集約す

それがコーラスみたいに
調和する

これは、
個人的生理現象への
介入調整ですが

なんか知らんけど
お釈迦さまや
キリスト・イエスに
もし直接お会いしたら
敬意畏敬の念で
同じような生理心理に
なるんじゃないかな
って



落語の名人が
扇子かなんか器用に操り
するするって
お蕎麦お食べになる
ほんとに食べてるよう
今から
お蕎麦屋さんへ行こか
てな気になります


どんなに
自分が立派でも
人ん悪口言うてる時は
もし高座におったら
そこには
キリスト・イエスや
お釈迦さまじゃねく
悪魔はんが
ほんとにいるよう 
なるんだろ~な~ です




じゃがしかし案山子

パウロという方が
「 我内なるキリスト 」
て心底思われた時
そこには
高貴な空気が流れちょった
はずで、がんしょね





澤木興道老師の
「 神は
  見る事はでけんけど
  する事はできる 。 」

神がそこにおれば
ここにおれば
すげーなぁーちゅうて
畏敬の念で
目は上げられへん
すもんね
うつむいちょったら
見る能わず
見る事はでけんすか

で、何が
でけるかっちゅうと
神妙に己を律し
見る事能わずな神を
ここへお越し頂くこっすか

それを老師は
神をする事はでけると
おっしゃったんかなあ
です ne








パウロという方の
「 我内なるキリスト 」
という言葉

この言葉ば
そんまま
心中トレースすっと

もう来ちょるけん
お座布団出したり
お茶のご準備したり
慌ただしゅうて閉口致す
でがんすが
静脈は敬意から
そりゃ、滝のように活気づく

那智の滝、お土産に
胸中へ来て下さるけん
ええお客様
ずっとおって頂きたい!
ですね。











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プロフィール

佐々木正巳

Author:佐々木正巳
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「国際交流のための坐禅会」

(ご希望に合わせ随時開催・参加費無料)

2006 東京国立博物館(上野) にて開催
2006~2015 仙台国際センターにて毎月開催
2022 ~  仙台 国見にて随時開催





道元禅師が述べられる 「 正 法 」 は、坐禅に他なりません
Dogen Zenji's definition of "true Dharma" is nothing other than zazen.
生涯が終わる時、私達はこの身を後にします
身体を持たない心魂の精髄が
その後どのように歩んで行くかは、想像すること能わずです
When our lifetime ends, we leave this body
The essence of the mind and soul without a body
We cannot imagine how we will go on after that.

このレポートでいつも述べている
「 身体の中に線を引いて、それを見えなくなるまで細くする 」
I always state in this report.
Draw a line through the body
and make it thinner until you can't see it.
深い眠りに落ちてゆく感じ、そんな感じがします
睡眠では、意識は途切れてしまいます
一方、「 線の見えない化 」 では意識は当然継続してます
「 線の見えない化 」 と言う、とても積極的行為をしてるのですから
The feeling of falling into a deep sleep
That's what it feels like.
In sleep, consciousness is interrupted.
On the other hand
In "Make Lines invisible ," Awareness Continues, of Course.
「 Make Lines invisible  」  It's a very positive act.

これは、とても不思議な物事の進め方です
「 身体から離れる 」 これを現出させるために
身体の造形行為を、その発射台に活用してます
This is a very strange way of doing things!
In order to manifest this " leaving the body "
I use the act of modeling the body as a launching pad.

「 身体から離れる 」 しかも意識を保っている
何故、これが 「 道 」 なのでしょう
" leaving the body "  and still conscious.
Why is this a "true meaning"?

人は、パンがなければ生きていけない
それを、否定できないでしょう?
それに対する答えは、「 人はパンのみに生きるにあらず 」
悪魔と、キリストとの間でなされた問答です
People can't live without bread.
You can't deny that, can you?
The answer to this question is that man does not live by bread alone
A Question and Answer Between the Devil and Christ

悪魔は、パンを足掛かりに人を操る
身体を足掛かりに、人を操るとも言えます
The devil uses bread as a stepping stone to manipulate people.
It could also be said that
the body is his stepping stone to control us.

しかし、悪魔は私達が進化するために
そのような役割を担ってるとも言えます
But the devil is for us to evolve
It can be said that it plays such a role.

意識は保たれている、しかも身体から離れてる
同時に、坐禅と言う造形を継続してるのですから
身体から離れてないとも言えます
まるで、悪魔を無力化してお縄にしてるようです
Consciousness is maintained.
And it's far away from the body.
At the same time, you are continuing the form of zazen.
you can say that you are not detached from your body.
It's as if he's incapacitating the devil and putting him in a noose.

では、悪魔の方から見たら
それはどんな場面となるでしょう
So, What would this scene be like
from the devil's point of view?

「 やれやれ 」 でしょうか
人の魂を進化させるための鬼コーチ
やっとその任務から解放されます
Good grief, right ?
strict coaches for Evolving Human Souls
He is finally free of that mission

坐禅の中にある解放感
これは坐禅をしてる人の解放感ではなく
人間に関わらざるを得なかった悪魔の解放感だと
任務は終った、霊界へ帰ろう、でしょうか
A sense of liberation in zazen
This is not a sense of liberation for the zazen practitioner.
but the liberation of the demons
that had to be involved with human beings.
I have completed my mission,
let's go back to the spirit world, shall we ?








宮城県仙台市青葉区国見5-6-18
( 5-6-18 kunimi Aobaku Senndai )


仙台にお越しの折は
気軽にお寄り下さいませ

ご連絡先はコチラでした!
090-7325-5711



師 沼田 勇 先生 



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文章を通しての師

Rudolf Steiner 先生
沢木 興道 老師 ( 曹洞宗 )


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