「古鏡」 一考
- 2014/11/09
- 08:56
仙台 日曜のあさ
予報曇どおり 空 くもりけりで
本日上記お写真は
昨日 ちゃらっと 脚伸ばし 「山寺」
幾年の築山か 知らぬれど
よーもmaー あの 絶壁に
道場 建て奉らん ですね
あちきは 月いち
れんたる和室にて 坐し奉らん で
オっと 昨日続き
↓ コレノどこが カガミじゃ
って Gimonn 浮かび候の 件
「鏡」 NETにて検索 けんさく
「銅鏡」で 検索するんですね
歴史 分類 素材 作り方
お宝映像もいっぱい出てきますね
そうそう 今 奈良国立博物館にて 開催中の
先日 その展示会紹介の番組 見てましたら
銅鏡の復元 = コピー = 同じもの作る
研究されてる 大学教授おられて
= それで 収入得てる 生業(なりわい) にしてる
って方 世間におられる事 びっくり で
で 私の疑問っ あれのどこが 「鏡」 なのっ
今 私達日 常でお世話になってる カガミとは
似て非で
そんで 私 思いし 一考はっ つーと
これ 我姿 映すかがみにあらず
じゃないかと
んじゃ なに 映せし ものなのか
So-zo- So-zo- っ
創造力まで 膨らんじゃいます
あらためて見てみると 「鏡」
つーよりは 「古鏡」 って感じですね
イニシエの鏡
私大好き 日向ぼっこ お日様も
「古鏡」 って感じ しますです
tumetaki 先生方によれば
あれ単なる 燃える物体
いくら眺めていても 何も出て 来やしません と
確かに仰る通り
上っつら見ても ばらばら分析しても
そん通り なんでしょう たぶん
一方 「古鏡」 は見るものに非ず
読み解くものなり って 仮説もありです
夏休み読書感想文 みたいで
与えられし本は 同じでも 各人各様
感想文は 百花繚乱 多種多様てなことに
この自由感想文 怖いとこは 結果っ
己内面 書いちゃうとこすか
教養人格 雅量器量 みな出でて候 で
「古鏡」 に何読み解くか
これは 己が姿 映せしカガミにあらず
己の内面映す 鏡なり
とも言える つー事でしょか
チェックっ ! チエックっ !
てな 視点から観れば
① が 眼の前の事実 客観的にチエックっ !
➁ が その客観的チエックっ ! が
その事実の多面的側面の 一つかもしれない
= 客観性自体が 自分の好み 能力 気まぐれ
背景になされた かもっ つー
己 振り返る チエックっ !
= 自分の感想文 自分で読み返す って感じ
ほんじゃ 「古鏡」 って この➁の 自照自省促す
象徴なんすか てーと
自省超大事あれど それで 国宝にはならんでしょ と
あちきは おもーわけです
この「古鏡」は 次のチエックっ! その➂
顕すもの じゃないかと
チエックっ ! その➂
坐禅にたとえると 坐禅の形に なってるかなっ ?
がチエックっ ! その①
他人の眼で見る
意識の有り様 自照自省して そのカタチ 修正修正が
がチエックっ ! その➁
自分で自分を観る
そーして チエックっ ! その➂
自分を観てる 自分を観る ?????
坐禅で言えば どーして 姿勢チエック するかっ
てーと
身体ん中っ ? 座標軸みたいなもん
十字 みたいなもん
思念で浮かび上がらせて それ基準に
自照自省して 姿勢修正修正っ すか
ほんで この自照自省のねたもと
十字座標軸 これチエック が
チエックっ ! その➂ っ !
Unde あちき超大事と思いしは
この十字座標軸自体は観れない つー事
あくまで 観れる意識できるのは
その十字座標軸上 の自己の内面
もし十字座標軸 イメージして
内面に十字座標軸 意識できても
それは 十字座標軸上に浮かんだ十字座標軸 だと
LEDバックライトディスプレイ
私達見れるのは コンテンツであって
それ 浮かび上がらせるLEDバックライトは
あっても 観る能わずと
この自照自省の裏に 見ることできずの
LEDバックライ = 十字座標軸 アリーナ
これ あってはじめての 自照自省っ
モーゼ の親分 いじわるで
みんなに親分のこと なんて言って
紹介したらええすかっ
答えて曰く
「私はある」 ところの者である 。
モーゼ の親分の名 内実は
「私はある」 と本人が言ってる
ほんで 本日の課題 「古鏡」
なに映せし 鏡なの
事実内容写すでもなく
内面内容映すにもあらず
むんずかしく言えば
時間空間 貫く 大十字 うつせし 鏡かと
故に 国宝だと
私 身近に自戒せば
コンテンツ (ディスプレイ) 裏にそんせし
LEDバックライト へ思いいたせと
てな 感じ
我 「古鏡」 一考なりにて