- 2016/11/30
- 10:12

お疲れ様ですっ!
11月30日 水曜日
如何お過ごしの事でしたでしょうか?
十一月も月末に成りにけり
明日はもう十二月ですね
只今朝五時
風もなく静かな朝のしじまなり
でした

昨日は何故か
ピタゴラス先生の定理その復習
て、ワケでもなかったんですが
姿勢を正そうしましたら
やけにそのイメージが明瞭に
浮かびけり と

すごいッ! 美しいィ!
何かを見てそう感じる
美しいのはそん見た対象?
いや、「美しい」て
自分の内面に浮かび上がったのは
「美しい」チュ
モノではないけど、ひとつの
実体・存在じゃと
こりゃ↑なんです
ルドルフ・シュタイナー先生ん本
そん中に出て来る
「ゲーテは理念を生きる事が出来た」
チュもんすか

憶える事がいっぱい在って
それを深く咀嚼する暇はない
余裕がない
知っちょるちゅうても
試験を通過するため
条件反射?みたいに只反応する
教育プログラムがほーなっちょる
そこで鍛え上げられて来れば
ほりゃ表層の下を探るは
むしろご法度チュもんですね
当然、現象と理念が別にある
なんちゅうスキームは夢のまた夢
てな展開 さもありなんすね

ピタゴラス先生の定理も
条件反射で それはこう言う事です
そっから一歩踏み込み
それを生きる事がでける
それを生きる? 何すかそりゃ?
ちゅうもんですね
それを生きる、と言うよりは
それは生きた理念で
そーまるで ほっといたら
地に蒔けば芽が出て来るん?
そう理念とはそれ自体
生命活力を持っちょると

えっ?ピタゴラス先生の定理って
そん名の通り
ピタゴラス先生が考えた事
只そう思った 彼の思考ちゃうん?
てな事↑は無いすね
彼には由来せん
自然から抜き出して来た
「定理」すか
この「定理」がクセもんですね
こりゃ何です定理ちゅうても
方程式ちゅうても機序ちゅうても
そりゃ外界に現ずる「実物経済」
「実体経済」実物・モノすか

ピタゴラス先生の定理は
そー定理であるチュ一面と
理念チュ一面もお持ちだと
こりゃ外面内面、二面お持ち
つ事っ?
ほんま、佐々木はんは
めんどくしゃ~事
よーいわはる
もうちっと分かりよー
話せんもんかね ですね

こりゃ何です
アラビアンナイトの時代
ある冒険家が中国まで行って
幾十年ぶり戻って来た
それを伝え聞いた王様がさっそく
そん話し聞こか ちゅうことに
王様曰く
何かワケの分からん話しやな
もっと単純に分かり易く
話せんもんかね
はっはぁーっ!ちゅう事で
中国のそれは、ここエジプトの
それのようなものでごじゃる
中国のあれは、ここエジプトの
あれのようなものでごじゃる
ふむふむ、よー分かるよー分かる
そうか中国とは
ほう言うとこかいねん
よーっ分かった!
(何が分かったんでしょ?)

ピタゴラスの定理も
外面・内面、二面お持ちで
外的なとこは当然誰が何処で
その図を展開しても ほーなる
外的に証明でける
じゃ、内面は? ちゅうと
こりゃピタゴラスの定理ちゅうより
ピタゴラスの理念すか
こりゃ内面じゃけん
心的魂的空間内の実体すか
こりゃ心的魂的なもんじゃけん
それをトレースシミュレーション
再現再生するも当然
こちら側も、私の内面チュ
事に相成り申そうか てな具合すね

昨日は意図したわけじゃ
ないんですが
ピタゴラス先生の理念
そうそれを外腹斜筋と前腹筋使い
トレーストレースすね
斜辺正方形が身体前腹筋
直角に扇を広げる2正方形が
左右外腹斜筋と相成る
私の内面に
その理念を再現し
その理念を
実際の身体に反映させる
チュ流れすね

まっ考えてみれば
こりゃ真面目にスポーツ
しちょる方なら
誰でもしちょる事ですね
イメージを形成し
身体を再構築する ・ ・
ちゃうとこ? ちゅえば
運動と言うより造形?

ピタゴラス先生の定理
ピタゴラス先生の理念が
力お持ちなんは
それを再現トレースすっと
それ自体が
まるで意志をお持ちのように
自らを開示すっとこ
でしょうか
これは再現しちょる方に
由来せん意志すか
中国拳法だったと思いますが
「借力」チュ言葉を読んだ事あり
すね
そーも言えるかしら です

只、運動と
私がそっちだろー、チュ方面は
かなり違うようにも
感じられ候すね
運動ちゅうよりは「造形」
それも美しい形っ!ちゅうんじゃねく
・・ing の造形すか
形成されつつある
形成しよう!
チュ意志が行使されてる
そん刹那 ing のダイナミックさ
でしょうか

形成しよう!
チュ意志が行使される時
そりゃ内面のこっすが
そん内面が身体の外に
出にゃ~ならん!
??????
ここが私も いまいち
どう言う事ねん
まとまらんとこすね

造形をなすチュ事は
毎度繰り返しですが
外からなさにゃ~ならん
たこ焼ひとつ作るんでも
自分がたこ焼ん中おったんでは
そりゃや火傷しちゃうがな です
レンジん前自分は立っとって
目の前にたこ焼がある
くるくるまとめる

背筋をしゃんと立てる
こんな事でも そん造形なすには
作者はそん身体の外に
おらんとでけん
中におってもでけん事ないですが
そりゃやせ我慢苦行チュもんすね
よーやるわ! です

で、何故思いがまとまらん
かっちゅうと
心魂はこん身体ん中におるもんだ
ちゅう意識が半端ないんすね
こん身体を離れて我心魂が
呼吸でけるなんて想像もでけん
こりゃこん意識は半端ない
と同時に何故ほうなっちょるか
そりゃほーだわ て思いも
浮かび候すね
そうお気軽に心魂がお身体外へ
出になさったら そりゃ危ない
あなたはアホーか? 即でしょか

威儀を正す、シャンとする
そんな単純な造形ですら
それをしようとしたら
作者は身体の外から
それを俯瞰せにゃならん
身体ん外へ出にゃならん
そして
それをなそーしちょるのは
そん意志は
心的魂的空間の実体すか
ちゅう事は何です
心的魂的空間(意志)の話しじゃけん
身体の内・外ちゅう
物理空間上の話し
しちょるわけじゃね
とも言えますね

こりゃ心的魂的空間内で
ありゃこりゃ すんべっ!
ちゅう話しや!
意志を行使すっぺチュ話し
もっと大胆に行くべか
でしょか

そんれに 心的魂的空間内
とは言え 身体ん外に出るんは
なんか不安すが
考えてみりゃ 物見遊山で
出て来たわけじゃあらへん
仕事しに来たんや ちゅうもんすね

ぼやっと身体ん外へ出たら
そりゃ
あぶにゃ~あぶにゃ~ですが
身体ん外でキッチリ身体を造形する
チュ意志を行使しちょる
戦闘モードチュわけでもないですが
心的魂的空間内ゆえ
百鬼夜行に囲まれても
そりゃ易々とはそん餌食には
なるまい ちゅうもんすか

なんやかんや思考を
進めて参りますと
造形( 坐禅 )の意義は大ありすね
漠然と造形に
励んじょるわけじゃない
心的魂的空間内の事とは言え
身体を離れても
しっかり私を保てる
保てるどころか
意志を発揮行使して
造形まででける
そんな、つっえー「私」を育成してる
ほうとも言えますか
また、ほーじゃなかったら
そんな造形いくらした処で
そりゃなん意味あるんすか?
て、ちゃかされちゃいますね

毎度こめんどくしゃーお話し
恐縮至極なりです
でも自分には
こりゃ反省からも
自戒せにゃーです
人であれモノであれ
外面・内面両方持っちょるんだ
それは同じ時空法則で運営されてる
わけじゃなか
ほんま家族であれ
お仕事で出会った方であれ
もっとその方の内面の声に
耳を傾ければよかった ・・
外的なとこだけ見て聞いて
そん内面へ思いをいたす
歩み寄る というやさしさが
皆無じゃった ですね

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