- 2016/11/15
- 09:59
お疲れ様ですっ!
11月15日 火曜日
如何お過ごしの事でしたでしょうか?
只今、午前五時少し前
早朝まだ暗し
東京でも仙台でも今くらいは
静かなもんですが
離島の離島の夜明け前の静けさは
こりゃ 人工的な音が一切せん
これが効いちょるのか
ん~ n ちゃうなーー っ!
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「 客体化する 」
何を? この身体を
毎度の呼気を背筋へ通す
これも、そん事自体に意味あるでなし
マジぃそれに専念致しまするに
きちっとすっと
そん命題を通し、
こん身体が客体化される
これは何度しても実感でけますね
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客観的に 、 てな言葉
視点観点 思考アプローチ
ございます
しかし何です、こりゃ曲者ですね
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南ん島におりますと四季の移ろい
ちゅうより二季の入れ替わり
夏か冬か そんな感じせんでもないです
内地におれば そんりゃ四季の変化は
前後の季節を忘れるくらい
まったく違う趣の陽光の元 暮らすこととなる
365のまったく趣を異とする日々を
その1日を取り出して
その風情をもってして
「 客観的に 」 ここはこーだっ!
て言われても
確かに客観的に11/15は、そーです
じゃ他の日々はどーかっちゅうと
真逆もあるし 90度反転もある
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365の内、どこを取り出すか
こりゃ主観的になされる事だし
意図的になせば
誘導洗脳レポートにもなりまっか
ですね
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プールの水の如し
ほんりゃ ここ徒歩30秒の
渡連のビーチ
海水は透明で水面は鏡んよー
これは客観的事実すが
そーあるんは ほりゃ幾日の内
何日ありますでひょか?
また、一日ん中でも変化する
こりゃビーチを24時間365日
いつも見ちょる カジュマルの木はんは
みな知っちょるでしょが ・ ・
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なんて書いてましたら
こりゃ 人と会話議論するんは
よーよー気ぃつけんと ですね
自分のわりぃ~くせは、
ちょっと聞いて
そりゃちゃうでひょ
そー早とちりしてしまう
よーないキャラっすね
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どの時点でどの観察ポイントから
眺めてほーなのか?
そりゃ、ほん時ほっから見れば
客観的に観て
確かに、ほーだわっ! です
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そう言うたら
皆、客観的事実語っちょる
チュこっになって
どの人の話しも
頷いて聞かにゃならん
真面目に聴くべか てなこんに
なるでごんすね
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只、無邪気に365分の1を
こーでしょ、あーでしょ 言うてんのは
底意もなく 微笑ましく聞けますが
そん話しをもって
全体イメージを誘引させんべっ
チュ 洗脳?話しは 如何なもんか
でしょか
まっそれがお仕事商売の立場から
なされし時は どーか?
これも ある意味でっち上げ
まっ嘘すか それも別のフレーム
関連性ん中から見れば
それも しかるべきして起きざるをえん
てな観法も可能でっしゃろから
この話しはきりがごじゃらん
とも言えるでしょうか
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で、本日本題の こん身体を
「 客体化 」 する これです
今この机ん上には
一個のこーしーカップがございます
こりゃ客体すか
私がそれを見てる
では、自分の身体を「 客体化 」 する
とは、どんな感じっ?
一個のこーしーカップのよーに
こん身体を観る? そんな感じっ?
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こりゃ言うは易し 読むは易しっすね
実際これを実践しても
頭ん中で そー身体ん中で
主観がこん身体を客観的にとらえよー
そーなっちゃいませんか ?
こりゃ どっか身体ん中
へんな感じして 痛みであれ寒気であれ
それをまさに耳澄まして
客観的に聞き取ろーしてる
まっありふれた 身体に関心よせる
チュ日常の一場面すね
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躁であれ鬱であれ
それが主観的なもんだったら
苦労はせんすね
おちゃらけ話しで済んじゃう
躁鬱がこわいんは、それが
身体ん中、頭ん中
客観的に居座ってて
身体ん中ゆえ自分は逃げれんチュ
こっすか
逆にある、チュこっすか
あん方が勝手に悩んでる
苦しんじょる ・ ・
そーでもありますが
ご本人には、それが
客観的事実として在り
そして、去らん
こりゃ、苦悩になるわな、です
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主観を主観たらしめてるんは、
実はそん「客観性」だと
どー考えてもほーとしか考えられへん
躁鬱であれ四苦八苦であれ
どーちてもそん実感は客観的に在る
動かす事がでけん 去らん
まとわりついちょる
ほうなったらもー
他人がどーこーでけるレベルじゃ
なかへんチュもんすか
ご本人ですら
どーもでけんのですから
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躁鬱であれ四苦八苦であれ
身体ん中にいて
身体ん中ん事 みちょるから
それが客観的事実へ
大化けするんであって
身体ん外から
身体ん中、観ちゃえば
また違った有り様すんじゃなかとね?
ですね
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身体ん外から
身体ん中、観れば
あーっ今、俺はそー感じちょる
って
俺の感覚チュ客観的事実が
あー是が俺の今の主観的事実
なんじゃなー って
こりゃ 頭こんがるよーな
表現なりますが
客観的事実を客観化して観る
てな事に相成り候でしょうか
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身体ん外から ・ ・ ?
そんな事 でけるんかい
です
上記仮定仮説も それを
実証実験で確かめるんには
「身体ん外から」
これをトレースシミュレーション
せんことには 一歩も前に進めんすね
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坐禅はお釈迦様、その成道の姿
そりゃ たぶんほーなんでしょうが
こりゃ ハードル高過ぎっすね
坐禅しても むしろ
躁鬱四苦八苦は増すばかりです
ほりゃほーでしょう で
坐禅すれば
いよいよ身体ん中籠って
身体ん中、頭ん中湧き上がる
客観的事実に遭遇し ・ ・
ほしてほれは
躁鬱四苦八苦の実感っ!
ちゅうんやさかい
正常?中華、普通の感受性なら
そりゃ そんな事してられへん
そんな事、誰がすっかや
ですね
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実際、
禅病? ちゅうんすか
禅であれ瞑想であれ
それして 取り組んで
さらに変になっちゃった
てな事例は古今東西多々あり
っすね
只これは、坐禅して瞑想して
ほーなった チュウより
普通に生活してればええもんを
身体に籠って
己の躁鬱四苦八苦と
にらめっこばっか、し続けたんで
それがまさに客観的事実として現じちゃい
本人がそれに飲み込まれてもーた
チュこっすか
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身体ん中に入る事は
身体ん外に出ることなんじゃい
こりゃ禅問答に非ず
実際ほーなんすね
ルドルフ・シュタイナー先生の
レポートん中出て来る
「骨に感覚を専念すれば
逆に心魂は身体の外へ出る」
こりゃ何です
女性が男性より長生きする
お歳めされてもお元気だ
そりゃ お化粧に気っ使って
一生チュ時間ん中で
鏡と向き合う時間
鏡と真剣に向き合う時間は
男性は足元にも及ばん
これと関連しちょるかも?
ですね
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なんか知らんですが
女性は お出掛けするとなっと
ありゃこりゃ鏡ん前で
しちょるですね
そりゃ色んな意味が
あるんでしょが
己の身体を客体化して観ちょる
これは本人が自覚しちょる
しちょらんに関わらず
結果的にそーいう時間を
お持ちになっちょる
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お化粧がこわいんは、
(あっコリャ男性から見てすか)
そん化粧による変化(へんげ)ではにゃく
お化粧ちゅう行為の間に
己の身体 まっお顔中心でしょが
己の身体 それを客体化しちょる
己の身体が客体化されて
現じてる時
その心魂は身体ん外にあるが如し
でひょから
そん時
躁鬱四苦八苦とはおさらばしちょる
冷静になっちょる
躁鬱四苦八苦とはおさらばすれば
ほりゃ元気を取り戻すでしょうし
そこで冷静チュ、スタンスとられた日にゃ
こりゃ世の男どもは
逆立ちしたって女性にはかなわん
チュ成り行きでひょか
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まっ上記視点も
全体像ではそーも言えるチュ
お軽いお話しで ・ ・
てきとうにお化粧しちょる
女性もおれれるでしょうし
ほれこそ真剣真摯に
己の顔お肌をモノを見るよーに
徹底的に観察客体化して
お化粧に臨んじょるつわものまで
そりゃ 色々でひょか
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お顔やお肌は
うわっつら チュえばほーすが
身体って言えば 当然身体すね
それを客観視する客体化する
お肌から一歩進めて
二歩進めて
身体ん中 骨格まで
客観視する客体化する
まっちゅうても
超能力者じゃないんだから
ピンとこんで安心でござるですね
では、一歩進めて二歩進めて
身体ん中 骨格まで
客観視する客体化する
ほれをどーすっぺか ?
こりゃ 骨そのもんに
アプローチすんでなく
骨である構造スキームを
意図的に作り それを監視する
ほー言う流れになりますでしょうか
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足、ちゅうても足の甲ですか
それを直角90度の関係に置く
これは 置いておしまい
ちゅうんでなく
例えば親指の付け根一点
そこを軸にして
90度目指して ちょくちょく調整する
よーは止まった90度じゃなく
90度に常に微調整しちょる
動的なもんを継続する
これ↑も 真剣真摯に臨むと
足腰が客体化されて行く
ほんな感じ
せんでもないすね
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
私などは、どーちても
お車乗る運転する機会多しで
お車は、中に乗って運転すチュ
知らず知らずそん意識が
浸透しちょるんちゃうん? です
まっそれはそれでエエんすが
こん身体は
何かなそー
特に不自然な事しよーとしたら
中に乗っちょったんでは
おぼつかんすね
身体で不自然な事しよーしたら
身体を客体化せんと
よーでけへん
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
背筋をしゃんとする
威儀を正す
足を直角に配置する
こりゃみな不自然なこっ
ばかりでごわす
それあえてすんから
精神が身体っちゅう
「苦の器」から抜け出る事がでける
で、抜け出たら
ぱっぱらぱーに成るかっちゅうと
きっちりお外から
そん造形なしちょる
そん造形制作中 ing であれば
身体から抜け出ても
身体から離れるこっはにゃい
そーアホーの神さんに
とっ捕まる事もないと
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
身体ん中おって
身体ん中ん事
見ておった日にゃ~
そりゃキチガイの神様に
とっ捕まっちゃう
そりゃこん(身体)が
「苦の器」ちゅうことも
そりゃそーなるわなー です
じゃ身体んお外に出りゃええかっ
ちゅうと
お外には アホーの神様が
待ち構えておって
来た来たっちゅうて
あっちゃこっちゃ引きずりまわそー
虎視眈々狙っちょる
身体から抜け出て
身体を離れず
坐禅ちゅう
不自然な造形制作をして
このダブル難関を解決する
まっ坐禅をして
お釈迦様成道のお姿なり
ちゅうのも理解できよーもんすか
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
てな考察進めて参りますと
こりゃ
「造形制作中 ing 」
こりゃ外せんすか
造形制作中 ing だから
心魂が外に出ても
身体を見捨てず
身体を見守っちょる
大事な身体を見守っちょる
その構図となるすか
造形制作中 ing でなく
その作品が 坐禅が
出来上がっちゃったら
そりゃ確かに 立派な坐禅チュ
作品は出来上がるかも
しれまへんが
もう作品は作者の手を離れる
心魂と身体が離れれば
こりゃ 立派なアホーどん
いっちょう上がり チュ事に
なるんでひょか
「 君子可八 」
八をもって可とす
こりゃ何すか
もう八部通り出来たから
もーちょいだ
八割でければ もう十分
ちゅうこっちゃなく
もう少しもう少しって
制作続けてるとこが命だ
ちゅうことなんでしょうか
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
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